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小さな海の話をしよう

以前は船員をしていました。今後は陸上で時間をうまく使って生きていこうと考えております。

学校のマラソン大会はやりたい人だけがすればいい(強制は危険だと思うが)

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この記事は本当は2016年の11月か12月に書いておきたかったのだがたまたま今日気が向いたので書くことにする。


以前から大阪マラソンだとか愛媛マラソン、今日テレビで見かけた別府大分マラソン等見かけたのもあるが。

自分の意志で考えたり準備して走るのは全然苦にならないのだけどね。

別に社会人のマラソン大会はあまり気にしていない。

本当に走りたい人ばかりがエントリーしてくるのだろうし。

それが本来あるべき姿なのかもしれないが。



学校では走るか、走らないの選択肢が無いから冷めた目で見てしまうのだろうか?

自分は中学時代はサッカー部に所属していたので、当時はある程度の上位層に入った覚えがあるが正直嫌だった。

最後の年には一桁ナンバーになれた記憶が微かにある。(なんかクレイモアみたい)

走る時に実際にめちゃくちゃ精神的にこたえたのは自分の周囲にいる人達の動向があまりにも気になったという事だ。

どちらかというと目よりも耳を通じて周囲の足音が聞こえるのが強大なプレッシャーになっていたと記憶している。



言っては悪いのだけど、誰も幸せにならないと思う。(特に同調圧力と強制があると)

高校時代なんて最悪で男子は10km走るという正気の沙汰とは思えない設定であった。

因みに女子は当時5kmだった。

そんな事より学業の方へ力を入れろよと思っていたけどね。

高校一年の頃はあまりにも嫌だったのと、精神的に荒れていたのもあり出なかった。(両親に逃げていると苦言を呈された過去は忘れない。)

その後に無理やり走らされたけど。

今の自分ならそのまま退学するね。バカらしいので。



運動会もほぼ同じような考えで冷めた目で見ていたが、皆がしているからしないとヤバいだとか、

もし、周囲の意向に逆らえば後で村八分的な嫌がらせを受けるのだろうか?

自分が嫌だと無駄だと感じることはもうそんなにしない方が幸せな人生を歩めるような気もするが。

無理にそれらに参加して今のところあまり人生で得たモノってある実感がないのだ。

寂しい人と言われればそうなのだが、それでも無駄だという考えは残念ながら消えない。



自分は将来、子供を持つつもりは無いがもし、その「子供」から相談を受けたりしたら一緒に真剣に考えるくらいはしたい。

自分がやりたきゃやりなさい。

嫌ならやめときなさい、心身共にあまりに負担がかかるならやめときなさいと言うだろう。


選択肢があるというのは本当に幸せな事だ。